unodo-sagishima | 瀬戸内の一棟貸しコテージ

「離島から、対岸の日常を想う。」に込めた意味

離島から、対岸の日常を想う。

unodoのテーマである一文ですが、これは何を意味するのか。今回は、その言葉に込めた意味を紹介します。

佐木島は、広島県三原市にある須波港からフェリーで15分の離島です。瀬戸内海に浮かぶ、人口約600人ほどの小さな島。季節によっては、みかんやレモンがたくさん獲れます。

unodoは、この島の南西に位置する向田港から、徒歩5分。港を左に曲がり、塔の峰千本桜やみかん畑を横目に真っ直ぐ進む。県道から一本右に曲がると、ふと現れます。敷地の入口では、大きなアガベが出迎えてくれます。

穏やかな瀬戸内の気候で、柑橘も観葉植物も育ちやすい佐木島。放っておくと、敷地内も草木でどんどん覆われるほど。unodoの周囲は山に囲まれているので、自然を身近に感じながら過ごしていただけます。

さて、そんなunodoから徒歩3分、先の県道をもう少し真っ直ぐ進むと、白い民家の先に対岸の須波港まで眺められる堤防があります。そこで、目下から聞こえる瀬戸内の波音をBGMに、堤防に腰掛けて対岸を眺めてみる。ちょうど西側の海に面しているので、天気が良ければ夕陽が綺麗に沈んでいきます。

それを眺めながら、ぼーっとしてみる。友人と喧嘩したとき、就職活動に悩んでいたとき、恋人と別れたとき。決してちっぽけな悩みだとは思えなくとも、一旦空っぽになることができる。そんな時間が、私が佐木島に行く時の楽しみの一つでした。

また、高校時代の友人と佐木島に行った時のこと。焚き火の火を囲みながら、夜遅くまで外でぽつぽつと話していました。秋の涼しさと鈴虫の鳴き声に身を預けながら、各々がお酒を片手に。友人の一人が、ふと兄弟の話を始めました。兄に対して抱える、昔からのコンプレックス。それゆえに兄弟が疎遠になったことがあること。大人になってそのことを客観的に見られるようになったと、どこか、他人の話のように語る彼の姿をよく覚えています。

後から振り返った時に、「この時こう考えていたなあ」とか、「彼があんなことを言っていたなあ」とか、自分の中で悩んでいたことの見え方がちょっと変わったりとか、そんな経験が、佐木島で何度かありました。それがなぜなのかずっと考えていましたが、個人的な結論は、

  • 普段と全く異なる環境であること
  • それでいて、対岸が近くにあること

ということに落ち着きました。目に見える距離で、日頃過ごしている場所がある。この特異な環境は、そのまま「日常の自分」を客観視させ、結果として普段じゃ見つけられなかった気づきが得られた。

日本の伝統芸能である「能楽」に、「離見の見」という言葉があります。自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識のこと。(参考:the-noh.com)

この言葉を知った時、佐木島での経験に当てはまると感じました。日常から離れて自分を見つめてみることで、得られる気づき。「なんか考えが狭くなっていたな」「これ別に自分も相手も悪くないんじゃない?」そんな気づきに救われたことが、そんな瞬間に出会えたことが、佐木島で何度かあります。

ここまで書くと、「人生の気づきを得てほしい」とか「自分を見つめ直すべきだ」とか大層なことを言っているようですが、特にそんなことを強制したいわけではないのです。ただ、AIが普及して、世界が加速し、忙しい現代の中で、ここでゆっくりと羽を広げていただければ。そして、ふと日常に想いを馳せていただければ。unodoはそういう思いで作りました。これからも、そのために改良を続けていきます。

自然の中で、大切な人とゆっくりとした時間を過ごしながら、離島から、対岸にあるあなたの日常に想いを馳せてみてください。